[教会だより」の巻頭言 11月号

ヨルガオ

真の謙遜

カトリック唐津教会 主任司祭 江夏 國彦

 世界の各地で戦争が起きています。キリストの生誕の地でも紛争がまた起きました。互いに憎しみ合い、殺し合っています。戦争は人間の仕業です。根本的に人間はゆるしが必要な存在です。私たちは皆、神のみ前に謙遜にならなければなりません。

 ルカの福音書に罪深い女性がイエスにゆるされた話があります。キリスト者として生きた詩人、八木重吉(1898-1927)はこの話をもとにした詩を書いています。想像をたくましく、しかもこの女性への深い愛情と哀感が込められた作品は、あらためて人間の本性について思わずにおれません。

    マグダラのマリア

   マリアはひざまずいて
   私ほど悪い女はいないとおもった
   キリストと呼ばれる人のまえへきたとき
   死体のように身体(からだ)をなげだした
   すると不思議にも
   まったく新しい喜びがマリアをおののかせた
   マリアはたちまち長い髪をほどき
   尊い香料の瓶の口をくだいて髪をひたし
   キリストの足を、心をこめてぬぐうた
   香料にはマリアの涙があたたかく混じった
   マリアは自分の罪がみな輝いてくるのを
   うっとりと感じていた ( 八木重吉 作)

 自分の弱さと罪を深く自覚した女性が、いとも聖なる方,罪をゆるす権能を持った方の前に無言のうちにひれ伏す女性、マグダラのマリアは、ゆるしを願ったのです。キリストはその光景を見ただけで、その心を見通して、ゆるされたのでした。キリストも無言でしたが、そのお顔と眼差しを見てマリアは自分がゆるされたことを感じ取ったのでしょう。とっておきの高価な香料をキリストの足に塗り、しかも女性にとって一番大切な髪の毛でその足をぬぐったのです。ゆるされたことの喜びと感謝の心で胸が一杯になり、香しさが立ち込める中で、あふれる涙が瓶の中の香料に混じったと作者は描写しています。
 
 最後に「自分の罪がみな輝いてくる」と書いています。聖書にはないこの一行は、この詩を大変意味深いものにしているように思います。キリストは罪のない人はいないと言われました。人間は罪を犯さずにおれない存在であり、その罪を身に帯びて生きている者です。

 問題はその罪とどのように対峙するかです。 無視したり、逃避したりしないで正しく向き合うとき、本当の自分を知るのだと思います。欲望と弱さから犯した過ちや裏切り、羨望のために犯す心の中の罪、それら一つ一つが心の傷となって忘れられないのです。
 
 しかし、その傷と痛みがあるからこそ思い上がることがありません。真の謙遜に生きようになるのです。まさにその意味で「幸いなるかな我が罪」と言わずにおれません。 作者はその思いをマリアに投影させ「自分の罪がみな輝いてくる」と書いたのだと思います。


 

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