「教会だより」の巻頭言 4月号



 闇から光へ

カトリック唐津教会 主任司祭 江夏國彦

 自然界は冬の間に準備して待っていた春が訪れて、よろこびと恵みに満ちています。私たちも四旬節の間、復活の喜びを迎えるために準備してきました。典礼を通して、私たちの日々の生活においても、キリストの秘義をより深く体験させてくださるように願いましょう。

 キリストが復活されたとき、トマスの様子をヨハネは次のように述べています。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」(ヨハネ20:24-25

トマスは、他の弟子たちが復活した主に出会うことができたのに、不在だったために、その恵みを受けなかったことに不満を募らせます。「私はこの目で見て、触って確かめて見なければ、決して信じないと言うトマスは、疑い深い人間というより、純粋でまっすぐな性格で、何よりもまず自分に正直な人であったといえます。信じられないものは信じられないとはっきり表明し、信じられる確かさを求めようとします。自分だけが仲間はずれにされたかのような思いで、頑な心になります。頑固なトマスは一人闇の中に沈みこみ、心を堅く閉ざしていたのです。しかし、八日後、トマスの前にお現われになりました。

 「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」

最後の晩餐の席では、イエスが弟子たちに別れの言葉を述べられたときに、トマスは言います。「主よ、どこへ行かれるのか、私たちにはわかりません。どうしてその道を知ることができるでしょうか。」イエスに従ってゆきたいトマスは、死を覚悟して道を求めます。イエスは言われます。「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことはできない。」トマスがいかにイエスを深く愛していたかを表す言葉です。イエスは自分を愛した弟子のことを忘れるはずがありません。信じることができなくて、闇に沈んだような状態であった弟子の所へ来られたのです。この時も「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」と言われました。聖霊の恵みを受けて、信じることができたのです。闇から光へと脱出できた瞬間でした。罪と死が支配する世界から、恵みと真の命が支配する世界へと移ることができたのです。トマスは感極まって「私の主よ、私の神よ、」と言って信仰告白したのでした。

私たちはしばしば長くて暗いトンネルを潜り抜けなければならない、苦しい闇との戦いを強いられることがあります。しかし、あくまでも自分を偽ることなく、自分に忠実に、そして信じる者にさせてくださいと求め続けるべきです。イエスは私たちを信仰へと導いてくださる方です。そして、時間と空間を越えて、いつもわたしたちと共にいて、私たちに呼びかけておられます。毎日の生活が復活の信仰に生きるものとなれますように。