「教会だより」の巻頭言 8月号

 

早朝の西の浜海岸

 命の尊厳

カトリック唐津教会 主任司祭 江夏國彦

暑さの厳しい夏が続いている。815日は終戦記念日、今年は特別な思いでこの日を迎える。ロシアによる軍事侵攻により毎日多くの犠牲者が出ているからである。広島と長崎に原爆が投下されて77年目を迎える。全世界の人々が、次第に核戦争になってゆくのではないかと恐れている。

 

 昔、毎日新聞に載った詩がある。広島に原爆が投下され、一瞬のうちに多くの命が奪われ、さらに多くの被爆した人々が破壊されたビルの地下室に逃げ込んだ。そこは、うめき声と血の匂いが充満していた。やがて夜となり、蝋燭の1本の灯りもない闇のなかで妊婦が産気づいた。その現場で生死のドラマが繰り広げられた。その時のことを、栗原貞子さんは「生ましめん哉」という詩にした。

私は産婆です、産ませましょうと、ひとりの重傷者が名乗り出る。やがて産声が聞こえた。そして翌日の朝を待たず産婆は血まみれのまま死んだ。赤ちゃんは女の子で「和子」と名づけられた。平和を願ってのことか?

 

この大戦後、日本は一度も戦争をすることなく平和を享受してきた。胎内被曝した和子さんは、結婚し、息子さんと広島市内でお店を経営しておられると新聞は報じていた。今も健在なら今年は喜寿を迎えられる。

地獄のような夜に命がけで産んでくれた母、そして被爆して重傷を負い、死に向かっていた産婆が新しい命の誕生のために最後の力を振り絞って戦った生と死のドラマは、命の尊厳と未来への希望を抱かせる。


『生ましめん哉』 (栗原貞子)

 壊れたビルディングの地下室の夜だった。

原子爆弾の負傷者たちはローソク1本ない暗い地下室をうずめていっぱいだった。

生ぐさい血の匂い、死臭。 汗くさい人いきれ、うめきごえ

その中から不思議な声が聞こえて来た。「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。

この地獄の底のような地下室で、今、若い女が産気づいているのだ。

 マッチ1本ないくらがりでどうしたらいいのだろう

人々は自分の痛みを忘れて気づかった。

と、「私が産婆です。私が生ませましょう」

と言ったのはさっきまでうめいていた重傷者だ。

かくてくらがりの地獄の底で新しい生命は生まれた。

かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。

 生ましめん哉 生ましめん哉 己が命捨つとも