「教会だより」の巻頭言 8月号

 


勢力均衡に頼る現実     

カトリック唐津教会 主任司祭 江夏國彦

ロシアによるウクライナ侵攻によって始まった戦争が今も続いています。世界の国々は防衛力強化が図られています。日本も今年は防衛力整備計画を決め、防衛費予算は68千億円余りになりました。第二次世界大戦後、人類は核兵器を持つようになったから、もう世界大戦は起きないだろうと多く国が考えていました。しかし、今日ではそうではないのです。最悪の事態に備えるため、なかでも軍事力を高めて相手との均衡を保とうとしているのです。そうすれば、お互いに脅威となり、戦争が起こりにくくなるからです。これは勢力均衡(Balance of Power)という考え方です。17世紀にヨーロッパで起きた30年戦争の後に締結された講和条約、ヴェストファーレン条約で勢力均衡が盛んに言われるようになりました。

戦争はあってはなりませんが、戦争が無いことだけが本当の平和とは言えません。キリスト者は戦争を無くすだけでなく本当の平和を求めています。真の平和は、互いに愛し合う世界です。勢力均衡では本当の平和は築けません。真の平和のために、相手を理解し紛争問題を対話によって解決するよう願っています。不信を前提にするのではなく信頼を深めるためにお互いを理解することが大事なのです。世界の人々は皆、神の被造物であり、神を唯一の父とする 兄弟姉妹であることを忘れてはなりません。

しかし現実の世界はいつの時代も戦争が起こっています。対話と理解を深める努力をしても、勢力均衡を構築しても、核兵器で武装しても戦争は起こることをウクライナ侵攻は示しています。絶対戦争を起こさないようにすることは人間にはできないのでしょうか。

戦争を繰り返している世界の現実は、人間の愚かさ、弱さ、罪深さであると思います。命の殺し合いを止められない現実、勢力均衡に頼らずにおれない現実、そして将来同じことがこの国でも再度起こり得ることを考えると、私たちは奢らず、謙虚に神に依りすがる心が必要です。この意味で平和への祈りは、命がけの祈りであると思います。先の大戦後、78年間一度も戦争していない日本は戦争に向き合う真剣さ、緊迫感が薄れつつあるのかもしれません。徴兵制のある韓国では、北朝鮮との戦争が休戦状態とはいえ、今も終わっていません。絶えず再戦に備えています。 

私たちは、破滅的な過ちを犯す可能性のある愚かな人間であっても、父なる神に望みをかける信仰を持っています。希望のうちに神と共に真の平和実現のために努力しなければなりません。平和の人となる生き方をしなければなりません。そのために、大きな犠牲が伴うことがあるかもしれません。永遠の命を得るためです。武力に頼る心は、神と人間への不信から出るものです。真の平和の建設は、神の愛、人間の愛し合う力を信じることから始まるのです。

「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」(マタイ2652