「教会だより」の巻頭言 1月号

加布里公園の大樹(糸島市)

 新しい命を生きる信仰者    

カトリック唐津教会 主任司祭 江夏國彦

  明けましておめでとうございます。今年こそは世界平和を願わすにおれません。

  ロシアのウクライナ侵攻で世界の平和が脅かされ、世界経済状況も悪化の一途をたどっています。コロナウイルス感染拡大の第8波も迎えています。その上、地球温暖化の影響で今年も何か大きな自然災害が起こりそうな気がして人々は不安を抱いていると思います。

  信仰に生きる私たちは、こういう時代だからこそ、復活信仰への思いを新たにしたいものです。復活こそ私たちの希望、信仰の核心だからです。復活を信じる者にとって、この地上での生活は通過してゆくところであり、この世にあっては旅人のように過ごすところです。あたかも慈悲深い父なる神のもとに既に迎え入れられたかの如く、この世を生きる信仰者はもう、復活の新しい命を生きているのです。

  この世での誕生のときのイメージで考えてみると、母親の胎内に命が宿ったとき、その胎児は、目も見えず、外界にも触れられず、この世をまったく知らないものです。その子は自分の住んでいる世界である羊水の中にあり、体に入り込んでくるさまざまな食べ物や栄養を母親から貰いながら生きています。その子にとってそこは保護され、幸せで安全な世界です。けれども、やがてその子はそこを去らなければなりません。その心地よい世界を去るということは、その子にとっては死を意味しています。その死を迎えた瞬間、その出来事は死ではなく新しい命の誕生だったのです。その子はきっと、母親の手に抱かれ、やさしく声を掛けられながら、羊水に浮かんでいた時に、聞こえて来た微かな声、ぼんやりと聞いていたあの声の持ち主は、実はこの人だったのだ、胎内にいる自分に毎日のように伝わってきた振動の感触は、この人の手だったのだ。愛する自分に向けて摩る音だったのだ。自分は胎内で、生きるための全てをこの人から貰っていたのだと知るでしょう。そして今、安心して、顔と顔を向き合わせて新しい世界に生きる者にされたのです。

  聖パウロは言います。「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子(イエス・キリスト)に対する信仰によるものです。」(ガラ 2:20

  この世での命の誕生を喜んだように、さまざまな苦しみや喜びを潜り抜けて後に迎える死についても、新しい命の誕生、復活信仰に生きる私たちは、喜びと感謝を神に捧げるのは当然なのです。今年もこの世での命の限りを尽くしてしっかりとキリストと結ばれる復活信仰を深めることができますように。

 



 

「教会だより」の巻頭言 12月号

 


人の思いを超えた神の業

カトリック唐津教会 主任司祭  江夏國彦

 主の御降誕おめでとうございます。

「神の計らいは限りなく生涯わたしはその中に生きる」(典礼聖歌52

 神さまの救いの計画は、人間の思いをはるかに越えた方法で実現していきました。その一つが、主の御降誕の出来事です。

神の独り子が人となるということは、人間の考えでは不思議なことです。人間には思いもつかないやり方でした。さらに救い主の誕生の時期も場所も誕生の知らされ方も常識的ではありませんでした。

また御父の独り子として誕生したイエスの福音宣教方法もそうでした。更に言うなら宣教の時期も場所も私たちにはふさわしくないと思われる時でした。時期的には、洗礼者ヨハネが捕らえられた時であり、ヨハネの弟子たちはがっかりしていた時でした。宣教活動の挫折のような時でした。そして宣教の開始の場所もしかりです。ガリラヤの湖のほとりカファルナウムでした。そこは宗教的にも文化的にも民衆の関心は低い異邦の地でした。

イエスが選んだ弟子たちは、世に知られた文化人ではなく、弱さを持った平凡な人々であり、特別才能のある人々でもありませんでした。どれもこれも私たちの思いからすれば、ふさわしくない時、場所、やり方、開始時期、選ばれた弟子たちであったように思われました。神さまの計らいは何と不思議なことでしょう。

イエスのガリラヤ地方から宣教を始められたのですが、救いは選民イスラエルの民だけではなく全人類に及ぶものでした。そして今も続いており、私たちはその協力者なのです。ですから協力者として私たちはキリストのやり方を心得ておく必要があると思います。キリストは、私たちの思いをはるかに超えたやり方でそれを実現されてゆかれる方なのです。人間的な思いやこの世の常識に捕らわれることなく、いつも神の御旨を求める心構えが必要です。

 神さまは私たちの働きを通して、意外な方法で宣教に役立てて下さることもあります。自分の欠点や弱さがかえって役立ち、物を持ち合わせていないことがかえって益になることもあるのです。何よりも、「私に従いなさい」といつもイエスは私たちに呼びかけておられます。その声に気付くこと、そして従うことが大切です。そのことのために、どれほど長い時間が流れようと、主は忍耐強く待っておられるのです。才能や財力、また政治的力を当てにすることなく、主に信頼し、福音宣教の仕方を主に学びたいものです。

キリスト者である私たちは皆、福音宣教の使命を受けています。それを実行するために、クリスマスの出来事は、示唆に富む事が多く含まれていると思います。クリスマスを神のなさる不思議な業を思いめぐらす季節にしたいものです。


「教会だより」の巻頭言 11月号

 

鏡山展望台から望む唐津湾

ホイヴェルス神父の思いで 

カトリック唐津教会 主任司祭  江夏國彦

  11月は死者の月です。過去の懐かしい方々を偲び、秋の夜長に物思いにふけることが多いものです。故人を通して受けた多くの恵みを神に感謝し、信仰の道を見つめ直すのです。

 わたしは、大学時代に出会ったイエズス会士、ヘルマン・ホイヴェルス神父のことが懐かしく思い出されます。ドイツから宣教師として日本に来られた師は、カトリックの司祭としてだけでなく、上智大学の大学教授・学長として、劇作家として53年間、日本人と日本文化を愛して生涯を全うされた人です。

晩年のホイヴェルス神父にドイツの友人が贈ったものと言われている詩があります。

            < 最上のわざ >

この世の最上のわざは何?

  楽しい心で年をとり、

働きたいけれども休み、

 しゃべりたいけれども黙り、

失望しそうなときに希望し、

 従順に・平静に・己の十字架をになう!

若者が元気いっぱいで

 神の道をあゆむのを見てもねたまず、

人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、

弱って、もはや人のために役だたずとも

  親切で柔和であること!

老いの重荷は神の賜物・古びた心に

 これで最後のみがきをかける。

 まことの故郷へ行くために!

己を此の世につなぐくさりを

 少しずつはがして行くのは真にえらい仕事。

こうして何も出来なくなれば、

 それを謙遜に承諾するのだ。

神は最後に一番よい仕事を残してくださる。

それは祈りだ! 手は何も出来ない。 

けれども最後まで合掌できる。

愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために!

すべてをなし終えたら、

 臨終の床に神の声をきくだろう!

「来よ、わが友よ、われ汝を見捨てじ」と!

       

 老司祭、ホイヴェルス神父は、いつも物静かで、柔和で、祈りの人でした。眼は遠くを見つめているような眼差しで、慈愛に満ちていました。師の話す日本語は美しく、味わい深いものでした。そばに居るだけで何となく平和な気持ちにさせてくれる聖なる人でした。

 私たちが出会いを通して自分の人生に深い影響を与えてくれた故人たちを偲び、弔うことは、天国での再会を希望させ、故人への感謝と相まって、この世での命を精一杯いきるように促されます。

 聖パウロは自分の晩年の心境を次のように述べています。「わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。」(Ⅱテモテ4:6-8)


「教会だより」の巻頭言 10月号


 

命の水を得た女性の話    

カトリック唐津教会主任司祭 江夏國彦

平和で何不自由ない生活をしていても、心の渇きや不安が消えるとは限りません。地球温暖化の問題、新型コロナウイルスと共に生きる時代の難しさ、核戦争に対する恐れ、経済的格差の問題などに直面し、同時に個人的な問題も解決できないままで生きる者にとっては、炎天下の広い砂漠の中を当てどもなく延々と歩いているようなものです。

ヨハネ福音書(4:1-30)にある話です。イエスが旅に疲れてヤコブの井戸のそばに座っておられた。そこへ正午頃、サマリアの女性が水を汲みに来てイエスに出会った。ユダヤ人は、サマリア人とは宗教上の理由で対立しあっていたので、イエスが「水を飲ませてください」と言われたとき彼女は驚きました。ユダヤ人から声をかけられ、物乞いされることは考えられないことでした。しかも彼女の器を借りて水を飲まれたのです。それほど近づいてくださったのは、彼女の悲しみ、心の渇きを見通して癒してあげたかったのです。

「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのが誰であるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」とイエスが言われたとき、女性は飲み水のことと思って「主よ、渇くことがないように、また、ここに汲みに来なくてもいいように、その水をください。」と言っています。

イエスは彼女が体験してきた様々な結婚生活を言い当てる事によって、心の問題に触れられた。それは彼女の厭世的な生き方を根底から問い直す機会になったのです。神を求める気持ち、救いへの希求へと導かれ、もっと質問をしようとします。今の生活は、満たされていなかったのです。

イエスとの対話によって、いままで体験した事のないほど深く、自分の人生と真摯に向き合うことになりました。彼女の中に内在していた渇きが目覚めたのです。「私は、メシアがおいでになることを知っています。その方がおいでになるとき、一切の事を知らせて下さるでしょう」という言葉は、魂の叫びであり、同時に彼女の信仰の披瀝となっています。

「メシアは、あなたと話をしているこのわたしである。」との言葉は、彼女に信仰の決断を迫りました。信じるか否かの決断です。信じることができた彼女は、水がめをそこに置いたまま町に行き、人々に告げたのです。「さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません。」生活の必需品である水がめを置きざりにするほど大切なものを得たのです。命の水が湧き出て、彼女の心の水がめは、あふれるほどになり、それを喜びいさんで持ち帰り、命の水、キリストを人々に知らせるために町に出かけて行きました。

私たちもイエスとの出会いによって、真の命の水、生ける水で心の渇きが癒されますように。そして喜んで福音を告げ知らせる者になれますように。


「教会だより」の巻頭言 9月号

唐津城から望む風景

 被造物の声を聞け

カトリック唐津教会 主任司祭 江夏國彦

失うまで、なかなかその有り難さに気が付かないのが私たちの現実です。このことは、今、地球規模で起きている生態系の異変による異常気象や自然災害においても同じです。

全ての被造物は神が与えてくださったものです。その母なる大地は、悲痛な叫びをあげています。その叫びに耳を傾ける時です。

日本のカトリック教会では9月1日から10月4日までを「全ての命を守るための月間」として2020年から取り組んでいます。ですから9月は「エコロジカルな回心」を深める月にしましょう。この回心のために、現在の世界状況を地球規模で考えること。

世界の政治情勢を専制主義と自由主義の対立で考えることが多いですが、自然環境問題は、消費主義に対して調和と共存主義と言えるではないでしょうか。無意識のうちに消費主義的生活様式で生きていると、自然環境に対して専制君主的な人間中心の考えで多くのものを消費してしまい、そのため過剰生産による自然破壊を招くのです。消費主義のままの生活を続けていたら、恐ろしい結果を招くでしょう。その責任はだれにあるのでしょうか。

多くの人が責任を感じておられることでしょう。身近なことから環境保全と回復のために何が出来るかを考えましょう。そして、地球規模の問題ですから多くの人々と協力して取り組むことが必要です。とくに、経済的、地域的に不利な立場にある人々のことを優先して考え、最も弱い立場にある人、犠牲になっている人々を中心に対策を立てることだと思います。

私たちの生きている地球の美しさ、豊かで多様性に満ちた世界を回復させましょう。アシジの聖フランシスコが自然を賛美した、あの美しさを取り戻すために。

「私の主よ、あなたは称えられますように、すべてのあなたの造られたものと共に、わけても兄弟太陽と共に。・・・太陽は美しく、偉大な光彩を放って輝き、いと高いお方よ、あなたの似姿を宿しています。

私の主よ、あなたは称えられますように、姉妹である月と星のために。あなたは月と星を天に明るく、貴く、美しく造られました。・・・」(「太陽の賛歌」より抜粋)

秋を迎えて、私たちの日々の祈りが大きな心で、地球という大聖堂の中で、多くの命を育む素晴らしい地球を与えてくださった神に向かって、感謝の賛歌を捧げたいと願うからです。

そのためには、崩壊の危機にあるこの美しい大聖堂の保全と修復が必要なのです。中世時代、教会が腐敗と分裂の危機にあったとき、聖フランシスコは「私の教会を修復せよ」という主キリストの声を聞いて回心と償いの生活を始めたのでした。


「教会だより」の巻頭言 8月号

 

早朝の西の浜海岸

 命の尊厳

カトリック唐津教会 主任司祭 江夏國彦

暑さの厳しい夏が続いている。815日は終戦記念日、今年は特別な思いでこの日を迎える。ロシアによる軍事侵攻により毎日多くの犠牲者が出ているからである。広島と長崎に原爆が投下されて77年目を迎える。全世界の人々が、次第に核戦争になってゆくのではないかと恐れている。

 

 昔、毎日新聞に載った詩がある。広島に原爆が投下され、一瞬のうちに多くの命が奪われ、さらに多くの被爆した人々が破壊されたビルの地下室に逃げ込んだ。そこは、うめき声と血の匂いが充満していた。やがて夜となり、蝋燭の1本の灯りもない闇のなかで妊婦が産気づいた。その現場で生死のドラマが繰り広げられた。その時のことを、栗原貞子さんは「生ましめん哉」という詩にした。

私は産婆です、産ませましょうと、ひとりの重傷者が名乗り出る。やがて産声が聞こえた。そして翌日の朝を待たず産婆は血まみれのまま死んだ。赤ちゃんは女の子で「和子」と名づけられた。平和を願ってのことか?

 

この大戦後、日本は一度も戦争をすることなく平和を享受してきた。胎内被曝した和子さんは、結婚し、息子さんと広島市内でお店を経営しておられると新聞は報じていた。今も健在なら今年は喜寿を迎えられる。

地獄のような夜に命がけで産んでくれた母、そして被爆して重傷を負い、死に向かっていた産婆が新しい命の誕生のために最後の力を振り絞って戦った生と死のドラマは、命の尊厳と未来への希望を抱かせる。


『生ましめん哉』 (栗原貞子)

 壊れたビルディングの地下室の夜だった。

原子爆弾の負傷者たちはローソク1本ない暗い地下室をうずめていっぱいだった。

生ぐさい血の匂い、死臭。 汗くさい人いきれ、うめきごえ

その中から不思議な声が聞こえて来た。「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。

この地獄の底のような地下室で、今、若い女が産気づいているのだ。

 マッチ1本ないくらがりでどうしたらいいのだろう

人々は自分の痛みを忘れて気づかった。

と、「私が産婆です。私が生ませましょう」

と言ったのはさっきまでうめいていた重傷者だ。

かくてくらがりの地獄の底で新しい生命は生まれた。

かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。

 生ましめん哉 生ましめん哉 己が命捨つとも

 


「教会だより」の巻頭言 7月号

唐津城と西の浜海岸

信仰の決断

カトリック唐津教会 主任司祭 江夏國彦

子供のころ命拾いしたことがあります。夏休みに、郷里の宮崎県都城市にある「関ノ尾の滝」へ兄弟三人で出かけ、滝の上流の川原で遊んでいました。そこは大きな岩が沢山ある川原でした。山のほうから流れて来る澄んだ水は滝となって滝壺に落ちるのです。上流の川原にある岩と岩との間は、水が滝の方に向かってとうとうと流れています。

 私たちは岩から岩へとぴょんぴょん跳ねて、はしゃぎ回っていました。その時、私が乗っていた岩に兄が飛び乗ってきたのです。すると体の小さい私ははじき出されて川に落ちてしまいました。そして流され始めたのです。その様子を遠くで見ていたもう一人の兄がすぐ下流のほうへ回って待ち受けて、私を助けてくれました。その兄がいなかったら、私は流れの速い川に押し流されて滝壺に落ちていたかもしれません。

  ところで山歩きをしていて、小さな谷川に出くわしたとします。濡れないように渡ろうとするならどうするでしょうか。もし浅瀬なら、飛び石となるような大きな石をいくつか見つけて川に投げ、その石の上に跳び移り、川を渡るでしょう。私たちの信仰生活もおなじではないでしょうか。なぜなら、信仰は、神の御旨を求めて、決断しながら歩んでゆくものだからです。一つ一つの決断は、私たちの人生の旅路に立ちはだかる谷川に投げ込む飛び石のようなものといえないでしょうか。

 神の存在を信じることは、理論的に分かるということより、自分の生き方の決断だと言えます。神の存在を信じるならば、実は、それは自分と切り離して考えられることではなく、自分の生き方を変えることを意味します。学問ならば、自分と関係なく神の存在を論じてもいいでしょう。しかし、信仰は学問と違って、自分が問われているのです。ですから神を信じることは、神を中心にした生き方の決断です。

この世という川原を渡るのに、一つ一つ確かめて、飛び石を川中に置きながら渡れば、川に流されることも、ずぶ濡れになることもないでしょう。

  聖アウグスティヌスは若いころさまざまな精神的遍歴をした後「私の心は神のうちに憩うまでは安らぎを得ない」と「告白録」の中で述べています。若いころは神以外のところに向かって生きようと試み、挫折感を味わったのでしょう。迷った後に、神に立ち返り、この心境に至ったのだと思います。

もともと人間は神に造られ、神に向かうように、その憧れを心に植えつけられているのです。聖アウグスティヌスは、神に向かう信仰の決断をして、本当の心の平安と喜びを得たのでしょう。

 

「教会だより」の巻頭言 6月号

 


遅まきながら

カトリック唐津教会 主任司祭 江夏國彦

随分、月日が経ってから自覚したり、気づかされたりするのが私たちの人生です。病気になって、気づく健康のありがたさ、愛するものを失って初めて自覚する言葉の意味深さ、無駄のように思えていたあの時の苦労があったからこそ、今の自分があると気づかされること、等々。

様々な精神的な遍歴を経た聖アウグスチヌスが、深い神との交わりに辿り着いた心境を次のように述べています。「古くして新しい美しさよ、私があなたを愛したのは、あまりにもおそすぎた。あなたは、実に、私のなかに居られたにもかかわらず、私は外に居て、あなたを外に求めていた。そしてあなたの造られた美しいものたちのなかに、身を投げ入れて、醜い姿となっていた。しかも、あなたは、私とともに、居られたが、私は、あなたとともには、居なかった。私は、長い間、それらのものに引き止められて、あなたから遠くへだたっていたが、しかしそれらのものも、あなたのなかに、存在するのでなければ、存在することも出来なかったのである。あなたは私に呼びかけられた。叫ばれた。そうして、私の閉ざされた耳を開いてくださった。あなたの光がひらめき輝き、私の見えない目を開いてくださった。あなたはかぐわしい香りを立てられた。私はそれを吸いこんで、あなたをあえぎ求めた。あなたを味わって、私は、いま、あなたに飢えかわいている。あなたは私に触れられた。私はあなたの安らぎのうちに安らごうと今、私の心は燃え立っている。」(告白録第1027章より)

 聖アウグスチヌスは、この心境に至るまでに、あまりにも長い時間がかかったことが、おそすぎた気づきのように述べていますが、しかし、思索しながら探し求める長い月日と苦労があったからこそ、この高みに達したのだと思います。新型コロナウイルス感染症が出現して、私たちの生活様式も、信仰生活も見直しを迫られ、あらためて気づかされる事があるのではないでしょうか。私たちは、キリスト者でありながら、どれほど深くキリストと交わっているのでしょうか。コロナ禍の中でそのことを見直す機会が与えられたと考える人は多いと思います。永遠の命に関わることについては、どんなに遅い気づきであっても、遅過ぎることはないのです。

わたしたちが日々主イエスに祈る時、イエスとの対話がもう始まっています。コロナと共に生きる時代に入ったからこそ、主イエスとの対話を深めることが、私たちに最も必要としていることだと思います。私たちの交わりは、どんなに愛し合っている者であっても理解し得ない部分が残るのです。心の深みまで入り込めない部分があるのです。入り込んで欲しいと願っても入り込めません。しかし、主イエスはその深みまで入り込み、癒し、渇いた魂を潤してくださるのです。信仰に生きる人とは、その深い交わりを神とも人ともしたいと願う人だと思います。この交わりにこそ、真の平安と魂の安らぎを得るのだと思います。


「教会だより」の巻頭言 5月号



 聖母月によせて

カトリック唐津教会 主任司祭 江夏國彦

聖母月を迎えました。命を精一杯生きているものは喜びが満ち溢れています。美しい季節、五月が聖母マリアに捧げられた月とされたことはふさわしいことです。マリアは教会の母として、私たちの信仰の歩みのかたわらにいて、見守り、助け励ましてくれます。聖マリアの取次ぎを願って祈る私たちは、どれほど多くの恵みを神からいただいたことでしょう。神の創造の業の大いなる協力者なのです。命を育む業に参与することは美しく、尊い業です。その業にすべての人が参与するように招かれています。

 ある女性が、初めて母になった時の喜びを川柳に託して次のように詠みました。

 「私でも ママになれたよ ありがとう」

  若い女性が母子ともども元気で出産できるのか、出産してもその子の母親として務まるのか心配な日々を過ごしたのでしょう。そんな母親の不安をよそに元気な赤ちゃんが生まれて、その子にも、授けてくださった神様にも感謝したい気持ちが「ありがとう」という言葉になったのでしょう。母親になった喜びと、いただいた命を大切に育てようという意気込み、そして明るい希望を抱かせます。普通に交わされる会話の平易な言葉を七五調にすると、こんなにも読む人の想像を掻き立てる句になるのですから不思議です。

 ところで母親にちなんでもう一つ紹介しましょう。やはり読者の想像を豊かにさせてくれます。「日本一短い母への手紙」という本の中に載ったものです。

「あと十分で着きます。手紙より先に着くと思います。あとで読んで笑って下さい。」

 おそらく普段は、母のもとを離れて暮らす青年が久しぶりに帰郷するとき、家にたどり着く十分前に母親に宛てて書いた手紙を投函したのでしょう。もうすぐ母に会えると言うのにどうして手紙を出す必要があったのでしょう。自分の帰郷を知らせるためではないことは明らかです。多分、彼は、久しぶりの母との出会いで、母の喜ぶ姿を想像すると同時に、再び母のもとを去った後に母が抱く寂しさまで想像したのだと思います。そして母が少しでも慰められるために笑いに満ちた手紙をしたためたのでしょう。手紙を簡単に電車や車の中では書けないでしょうから、きっと彼は母と会える日を心待ちしながら数日前から書いて準備したのだと思います。日帰りだったか、一泊出来たのか、忙しい彼は、限られた短い時間を最大限使って親孝行をしたのでしょう。なんと思いやりに満ちたはからいでしょう。こんな息子を持つ母親は幸せです。

 教会の母であるマリアの子、イエス・キリストも復活した後、多くの弟子たちに現れ、天の父のもとに帰る時が来たとき、別れに先立って、その母と弟子たちを慰めるためにご自身の霊、聖霊を遣わすことを約束されました。それは一時的な慰めではなく、永遠に続く、しかもこの世のあらゆる不条理の根本的解決策を与える真理の霊でした。このイエスのはからいは、何物にもかえがたい弟子たちへの愛に満ちた心配りだったのです。その同じ霊は今もキリストの弟子となった私たちの上にも豊かに注がれているのです。

 

「教会だより」の巻頭言 4月号



 闇から光へ

カトリック唐津教会 主任司祭 江夏國彦

 自然界は冬の間に準備して待っていた春が訪れて、よろこびと恵みに満ちています。私たちも四旬節の間、復活の喜びを迎えるために準備してきました。典礼を通して、私たちの日々の生活においても、キリストの秘義をより深く体験させてくださるように願いましょう。

 キリストが復活されたとき、トマスの様子をヨハネは次のように述べています。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」(ヨハネ20:24-25

トマスは、他の弟子たちが復活した主に出会うことができたのに、不在だったために、その恵みを受けなかったことに不満を募らせます。「私はこの目で見て、触って確かめて見なければ、決して信じないと言うトマスは、疑い深い人間というより、純粋でまっすぐな性格で、何よりもまず自分に正直な人であったといえます。信じられないものは信じられないとはっきり表明し、信じられる確かさを求めようとします。自分だけが仲間はずれにされたかのような思いで、頑な心になります。頑固なトマスは一人闇の中に沈みこみ、心を堅く閉ざしていたのです。しかし、八日後、トマスの前にお現われになりました。

 「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」

最後の晩餐の席では、イエスが弟子たちに別れの言葉を述べられたときに、トマスは言います。「主よ、どこへ行かれるのか、私たちにはわかりません。どうしてその道を知ることができるでしょうか。」イエスに従ってゆきたいトマスは、死を覚悟して道を求めます。イエスは言われます。「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことはできない。」トマスがいかにイエスを深く愛していたかを表す言葉です。イエスは自分を愛した弟子のことを忘れるはずがありません。信じることができなくて、闇に沈んだような状態であった弟子の所へ来られたのです。この時も「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」と言われました。聖霊の恵みを受けて、信じることができたのです。闇から光へと脱出できた瞬間でした。罪と死が支配する世界から、恵みと真の命が支配する世界へと移ることができたのです。トマスは感極まって「私の主よ、私の神よ、」と言って信仰告白したのでした。

私たちはしばしば長くて暗いトンネルを潜り抜けなければならない、苦しい闇との戦いを強いられることがあります。しかし、あくまでも自分を偽ることなく、自分に忠実に、そして信じる者にさせてくださいと求め続けるべきです。イエスは私たちを信仰へと導いてくださる方です。そして、時間と空間を越えて、いつもわたしたちと共にいて、私たちに呼びかけておられます。毎日の生活が復活の信仰に生きるものとなれますように。