「教会だより」の巻頭言 7月号

 


大自然に親しむ季節

カトリック唐津教会 主任司祭 江夏國彦

夏になると、どこの自治体でも様々な行事が行われ、夜空の星を眺める機会も多いものです。そしてその美しさに感動し、宇宙の神秘を感じます。 聖書に「初めに、神は天地を創造された。」( 創世記1:1)とあります。

幼稚園では、園外保育、家族では、海や山に出かけることが多くなり、たくさんの生き物の命に触れる機会があります。子どもたちは、どんな生き物の命も新鮮で、興味津々といった目で見つめます。大人になると失いがちな驚きと喜びの目と心を大切にしたいものです。不思議に思う心こそ、科学的な心の基礎だからです。一緒になって観察道具や図鑑などを使って調べるとき、それだけで、もう立派な科学者です。しかし、調べて分かった事で満足するのではなく、まだ分からないことがいっぱいあることも子どもたちに伝えるべきだと思います。多くの偉大な科学者たちは「自然の奥深さを知れば知るほど、人間は自然について、いかに知らないかということを知るようになる」と述懐しています。

とくに天気の良い日の唐津の夏の夜空は、空気が澄んでいるせいか、とても美しいです。果てしなく広がる宇宙空間と星を眺める時、感動を覚えます。

NHKの科学番組での話ですが、現代の天文学者たちは「宇宙に果てはあるのか、否か」という問いに、万民が納得できる答えは、こんなに科学が進んだ時代でも、まだ見いだせていないと述べていました。子どもたちでさえ抱く、昔からある単純なこの疑問にも科学は答えられないのが現実です。人間の知恵と能力は、大自然の前になんとちっぽけなものか思い知らされます。

最近、AI(人工知能)の発達が著しく、これからAIの時代になると言われています。物質的豊かさと便利な時代がやって来るでしょうが、どんなにAIが進歩しても人生の意味と目的に答えてくれることはありえません。ましてや「神は天地を創造された。」という聖書の言葉が正しいか否かについて答えてくれないのです。何故ならこれらの問いは、科学が扱う領域を超える次元の違いがあるからです。これらは形而上学的な問いです。形而下の問題を対象とするAIが答える問題ではないのです。

AIやその他の科学が発達すると、いろいろなことが分かってきて、汲めども尽きぬ自然の奥深さを益々知るようになります。そこに神秘を感じる時、形而上の問題として捉えるか否かが問われます。それでも多くの人は形而上の問題とせず、あくまで形而下の科学の世界のみにとどまります。しかし他方では、自然を超える知性と力を感じ取り、形而上の領域へと思いを馳せ、「神は天地を創造された」と認める人もいます。

そのように信じる人にとって、自然界は神の芸術作品として見ることでしょう。もはや偶然にこの素晴らしい世界ができたとは考えられないという思いは、全知全能の神の存在を、より確かなものとして受け止めるのではないでしょうか。そして人間も、神によって創られた者、神の子であるという思いになるのです。そのように信じられるのは、神の恵みを得たからにすぎません。

暑い季節になりましたが、大自然に親しみ、多くの神の業を鑑賞して、神を賛美することができますように。


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