「教会だより」の巻頭言 9月号

金木犀の花


耳から心に光が入る

カトリック唐津教会 主任司祭  江夏國彦

21世紀に入ってからの科学技術の進歩が著しいことに驚かされます。特に近年、AI(人工知能)が急速に発達し始めました。そのことが、私たちの生活に大きな変化をもたらしています。

 豊かさと便利さを追い求める社会では、効率、能力、結果が重視されがちです。その結果、多くの人々が余裕を失った忙しい生活を送っています。そのような状況の中で、一人静かに神と向き合う時間をとることは、決して容易なことではありません。だからこそ時には大自然の中に身を置き、神の造られたものの美しさを味わってみてはいかがでしょうか。または、心洗われる美しい音楽や絵画の世界に触れ、失いかけている心のゆとりを取り戻してみるのもよいでしょう。

  イエスは荒れ野で悪魔の試みを受けられたとき、「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つのみことばによって生きる者である」と言われました。私たちが本来の人間らしい生き方に立ち返るために、時には、みことばに親しみ、黙想し、神の声に耳を傾けたいものです。

  視覚と聴覚、そして発話に大きな障害を抱えながら生きたヘレン・ケラー女史が「もし神がどれか一つを叶えてくれるなら、あなたは見えるようになりたいか、聞こえるようになりたいか、喋れるようになりたいか」と問われたとき、意外なことに彼女は「私は聞こえる耳が欲しい。何故なら心に光が入るのは耳からだからです。」と答えたと伝えられています。

ここでいう「光」とは何でしょう。それは単なる音や声ではなく、人の心の奥深くに届き、心を照らす言葉ではないでしょうか。キリスト者にとっては、聖霊のささやきであり、神の呼びかけ、神の声なのだと思います。

 ヘレン・ケラー女史にとって、もはや目が見えることよりも、何不自由なく喋れることよりも神の声を聞く耳、感じ取る心が何よりも大切だったのでしょう。神はいつでも私たちに語りかけておられるのに、私たちは、多くの場合それと気づかないのが常なのではないでしょうか。

  旧約聖書に書かれていますが、少年サムエルは、三度も神に呼ばれたのに、聞こえていても、それが神の声だと気がつきませんでした。しかし、近くにいた老祭司エリに、それは神の呼びかけであること、そして「主よ、どうぞお話しください。しもべは聞いております。」と答えなさいと教えられて、そのように答えたのです。(サムエル記上 310節)

このようにして純粋な心を持った少年サムエルの耳に神の光(声)が入って心を照らしたのでした。後にサムエルは、エリに導かれて預言者として成長し、神のみ旨を行う人となりました。

科学の発達によって、どんなに情報が溢れ、忙しい社会になっても、いつも私たちにささやきかけておられる神の声を聞く心の余裕を持てますように。そして、神の御旨を行う者になれますように。 


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