「教会だより」の巻頭言 2月号

 



キリスト教国でない日本のキリスト者は、キリスト教国の人々以上にキリスト者として生きる理由を自問するのではないでしょうか。

遠藤周作は「子供の頃に受けた洗礼とキリスト者として生きることが自分の体に合わない服を着せられているような違和感を覚えていた時期があった。」と証言しています。私たちは、どうしてキリスト者として生きているのか、その確かな理由を胸に秘めているでしょうか。幼児洗礼であろうと大人になってからの洗礼であろうと、確かなものを抱いているかを自分に問う時、誰でも不思議な思いにかられるのではないでしょうか。

この神秘を考える時、使徒たちの召し出し(マルコ1:14-20)の例は、何かのヒントを与えてくれるのではないでしょうか。

聖書によると、まずキリストが先に彼らを呼び出すことによって弟子になりました。普通は師弟関係ができるとき、弟子になりたい人が先に師に願って弟子にしてもらうのが常ですか、キリスト者としての召命は、いつもキリストが先に呼び出すということです。私たちが選んだのではなく、キリストが私たちを先に選び、呼んだということです。キリスト者は、いつも心の底にキリストが私を呼んでくださったという思いがあるのか問わなければなりません。

しかし、それに応えるためには、悔い改めてキリストに心を向けなければなりません。心を神に向けるという「回心」は一生涯のことであって、生き方が変わることを意味しているのです。単に道徳的に改心して行いを改めることを意味する以上に、全身全霊で「神に立ち帰る」ことです。しかし、回心は始まりであって、弟子たちも長い期間をかけて、回心の道を歩みました。私たちも絶えず回心の道を歩んでいるか問われます。

キリストは弟子たちに「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われました。イエスの召し出しは、ついて行くことが重要なのです。資質や才能があるから、神は私たちを選んだのではありません。ただ神のみ旨によるのです。キリストの教えは、知識を身につければ解るというようなものではなく、共に生きることによって少しずつ分かってくるものなのです。 最初の弟子たちがそうであったように特別な学問的素養がなくても福音を理解し、信じ得るのです。キリストと共に教会の群れの中で生活することが重要なのです。

キリストが求めるのは、どれほど多くの人に福音を宣べ伝えたかとか、信仰の証しを立てる勇気と力があるかということでもありません。ついて行けば、キリストご自身が導き、育て、使命を与えてくださるのです。

  私たちの使命は「人間をとる漁師になる」ことです。すなわち、私たちキリスト者の歩みが、人々の心をキリストへと誘い、キリストと共に歩む者へと変えられてゆくことなのです。その意味で、非キリスト教国である日本では特に、私たちの生きざまが信仰の証しになっているのか問われているのだと思います。

「教会だより」の巻頭言 1月号

 

有田の大イチョウ(大公孫樹)2024.12.08

この世の旅人、巡礼者

カトリック唐津教会 主任司祭  江夏國彦

新年あけましておめでとうございます。今年は、25年に一度巡ってくる聖年に当たっています。教皇様は、1224日、降誕夜半ミサの時、聖ペトロ大聖堂の聖なる扉を開いて聖年の始まりを告げました。聖年のテーマは「希望の巡礼者」とし、大勅書「希望は欺かない」を発布されました。主の再臨を待ち望み、その良き準備をする者にとって、新年は多くの恵みがもたらされる年となるでしょう。 

世界で起きている二つの戦争だけでなく、国内でも悲しい事件が毎日のように起きています。近年いじめを苦にした子供の自殺が多いのを嘆きながら、希望を失った子供たちは人生をリセットするような感覚で自分の命を絶ってしまうと評する人がいます。パソコンをリセットするかのごとく、簡単に人生のやり直しができるとでも思っているのでしょうか。

しかし大人も、日本の平均寿命が延びた時代とあって「PPK」で死にたいと願う人が増えているとのこと。PPKの意味は、英語の頭文字かと思いきや、「ピンピンコロリ」の頭文字だとか。その気持ちを詠んだ川柳「散るなんて知らぬが仏花盛り」は今日の世相を表しています。

このような思いの背景には、苦しみたくない、人に迷惑をかけたくないという思いがあるからでしょう。もし真剣にそのように思うようになったのなら、命に向き合う姿勢が問われていると思います。現実は、病に倒れた後、長い間、周りの人に介護されながら生きなければならないこともあります。健康な者が健康でない者を介護するといっても、それは多くの場合、肉体的に、より健康な者がそうでない者の面倒を見ることを意味しています。ところが肉体的に健康といっても果たして心も魂も含めた人間全体として健康な人がいるでしょうか。体がどんなに健康といっても、原罪に傷ついている私たちは自己中心的な生き方に傾きます。そのことの故に人間関係を傷つけ、あるいは傷つけられます。そして、お互いに苦します。

神さまの立場で考えると看病するといっても、不健康な者が不健康な者を看病しているにすぎないのです。この関わりを通して、どんな人も本当に健康になるために癒しが必要です。お互いに関わりを深めることで、思いやりの心や、命の尊さを学ばせていただくのだろうと思います。子供も大人もこの関わりを忌み嫌ったり、避けたりしないで、与えられたものとして受け、お互いに神に癒されるプロセスにさせていただき、人間として成長したいものです。神さまが与えてくださったもので、意味のないものは何一つないのですから。 

イエスは言われました。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マコ 2:17

教皇さまの言葉にも「真の愛は、愛すると同時に愛されることです。愛を受け取ることは、愛を与えることよりも難しいものです。」とあります。

キリスト者は絶えず希望を持ち続け、神に育てられながらこの世を生きる旅人であり、巡礼者なのです。


「教会だより」の巻頭言 12月号

北山ダム 2024.11

ちょうの御よそおい

カトリック唐津教会 主任司祭  江夏國彦

 天使はマリアに言った。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」ルカ1:35

 クリスマスおめでとうございます。仏教に比べれば、日本でのキリスト教の歴史は短いですが、今ではクリスマスは日本の社会にすっかり溶け込んでいます。多くの家庭でクリスマスケーキやプレゼントを交換します。そして喜びの雰囲気に包まれます。

  1614年に徳川家康が禁教令を発布して以来、250年以上にわたって長崎県松浦郡の生月、外海、五島などでキリスト者たちは隠れキリシタンとして潜伏していました。迫害によって多くの殉教者も出しました。聖書さえ持つことが許されなかった彼らは、手作りの聖書「天地始之事」を著し、信仰の支えとしました。マリアが身ごもった事、そして男の子を出産した次第が書かれています。その中で、おとめ=びるしん、聖=さんた、マリア=丸屋、聖霊=ちょうの御よそおい、と言い表しています。

 ところでアサギマダラという「渡り蝶」は、春になると北上して函館まで、秋になると南下して喜界島まで飛んでゆくことが知られています。この蝶の観察や調査研究が盛んに行われています。インターネットが発達した時代とあって、学者や専門家ばかりでなく素人や子供たちまでが参加して、今や調査のために日本全国にネットワークが出来上がっているそうです。偏西風に乗って移動するのだろうと考えられていますが、小さい蝶が、どうして2千キロメートル以上も移動することが可能なのかまだよく解っていないのです。 

 アサギマダラの蝶のように神の霊である聖霊は風に乗ってやってきて処女マリアの胎内に宿ったと記しています。隠れキリシタンが書き残した聖書、「天地始之事」ではクリスマスのことを「御身のなたる」といいました。その箇所も想像たくましく描かれています。

 馬屋でお生まれになったその日は大雪の降る寒い夜であったので、馬と牛が幼子の両側から息を「ハー、ハー」と吹きかけて暖めてくれたそうです。馬小屋を清め、赤飯を炊いて、生活のために大事な機織の道具まで薪として燃やし、産湯を沸かしたとあります。

 聖書の中では、聖霊は風や鳩の形にたとえられていますが、隠れキリシタンは蝶にたとえたのです。神の救いの御計画の神秘をこのようにイメージした隠れキリシタンたちの信仰は、正統信仰からすれば、逸脱した記事であっても、当時の迫害によって聖書を持つことが許されなかった中で、風土と生活様式に根ざした記事となりました。素朴で純粋に信仰に生きてきた彼らの信仰の逞しさを感じさせられます。

 処女マリアからお生まれになった幼子の「微笑み」が荒れすさんだ人々の心を和らげ、真の正義と平和、そして喜びがこの地上にもたらされますように。



「教会だより」の巻頭言 11月号

環境芸術の森(唐津市)

 

死者との再会


カトリック唐津教会 主任司祭 江夏國彦

 死者の月を迎えました。近しい人を亡くすと、誰でも自分の死を思い、いつの日か再会できることを希望します。死者の月に今年から納骨室に納骨されている方々だけでなく、各家庭の死者を弔うための「合同慰霊ミサ」をします。

 私たちはこの世を超えた世界を具体的に知りませんが、キリストの言葉を通して想像します。そこがどんな所か解りませんが、必ず再会すると信じています。その日を迎えるには、譬えると、あたかも幼虫が脱皮を繰り返しながら、最後は羽化して成虫になって大空に飛んでゆくように、私たち自身が質的な変化を遂げながらその日を迎えなければならないようなものです。

  キリストの譬えでは「新しいぶどう酒は新しい革袋に入れるものだ」と言われました。これまでのものとは質的に完全に異なる、新しい次元に属するものであるということです。自分が主の新しいぶどう酒を入れる新しい革袋となるためには、一度徹底的に古い皮袋である自分が引き裂かれる必要があるのです。古い革袋のままで安住することはできません。主ご自身が十字架の上で肉を裂かれ血を流されたように、私たち自身も「引き裂かれる」こと、苦しみに与り、古い自分がキリストと共に葬られなければなりません。

「あなたがたは、洗礼によってキリストと共に葬られ、また、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられたのです。」(コロサイ2:12)

 主は新しいぶどう酒を満たすことができるように、古い革袋を新しい革袋へと私たちを再創造してくださいます。それが私たちの復活です。そのことは既に私たちのうちに始まっているのです。つまり、幼虫の譬えでいうと、私たちは、既に脱皮を始めているのです。やがて天国へ飛び立てる羽が生えるでしょう。

  アメリカ合衆国の先住民族の言葉に「今日は死ぬのにはもってこいの日だ(Today is a good day to die)」というのがあるそうです。この言葉にならって、「今日はキリストにおいて死ぬのにはもってこいの日だ。そしてキリストにおいて復活するのにもってこいの日だ」という思いで信仰の道を歩みたいものです。

私たちは死者との再会を希望しますが、そもそも自分は、あの愛する人と本当に再会できるのだろうかという不安がつきまとうかもしれません。或いは逆に、あの人とだけは再会したくないという人がいるかもしれません。だとすれば、今から和解しておきましょう。

死者のことを思い、死者のために祈ることは、自分のためにも祈ることになるのです。主の死と復活を生きる私たちが、新しい革袋にされて、新しい命を生きる者となれるように、共に祈りましょう。 



「教会だより」の巻頭言 10月号



苦しみの中でも喜び 


カトリック唐津教会 主任司祭 江夏國彦

キリストの最初の弟子たちは、色々な困難に遭遇しましたが、それを乗り越えることができたのは、ある日、生き方が決定的に変わるほどの体験をしたからでした。

 イエスが、ある時ペトロに次のようにお尋ねられました。「あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロは「あなたは生ける神の子、メシアです。」と答えました。イエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた後、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められました。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めたのです。イエスは振り返って、ペトロを叱って言われました。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」(マルコ833

キリストの招きに答えて弟子となり、寝起きをともにしていたペトロでしたが、当時はまだ、キリストをよく理解できていませんでした。「あなたはメシアです」と答えても、政治的な王、偉大な預言者としてのイエス理解でした。だから主が、苦難を乗り越えて喜びに入られることも、十字架を通して復活されることも想像すらできなかったのです。しかし、この世でのさまざまな苦しみを乗り越え、復活されました。復活されたキリストに出会って、弟子たちは初めてキリストが誰であるかという正しい理解が得られ、その後の生き方が根本的に変わりました。

 弟子たちは、キリストの死は私たちの救いのためであったこと、キリストの歩んだ道をたどれば、自分たちもキリストのように復活することを知って、そのキリストの愛に応えたい思いと、大いなる栄光への希望が湧き、弟子たちの心は命を捧げるほどに高揚し、変えられたのです。

いつの時代であっても、私たちはこのような体験をすることができるのです。主は、十字架上の死から復活へと通じる道を示してくださったのです。その道は苦しみが必ず伴うものですが、苦しみの中にある時にも、すでに喜びを見出せる道でもあります。何故ならどのような苦難も、すでに栄光を得たかのような確信と希望のうちに歩み、愛に応えようとする道だからです。

聖アウグスティヌスは、次のように言いました。「愛は、最も困難なこと、最も苦しいことを、全く負いやすく、その重荷を無にします」と。

殉教者たちが自分の死を目前にしながらも神を賛美しながら信仰を証しできたのは、十字架の向こうに、あたかも既に栄光の世界に入ったかのように、しっかり復活を見据えて希望していたからです。わたしたちも苦悩の淵にあっても栄光を見つめることができるのです。苦しみの中にありながら喜びを、肉体の死へ向かう中にあっても永遠の命を生きることができる信仰を得ているのです。

「教会だより」の巻頭言 9月号



敬老の日に当たって 


カトリック唐津教会 主任司祭 江夏國彦


<老人の八つのつぶやき>

 

私のよろける足どりとふるえる手を

理解してくれる人は幸いです。

 

私の耳は人のいう言葉を聞きとるためには、

大きな努力が必要であることを

わかってくれる人は幸いです。

 

私がコーヒーをこぼしても、かわりない

平静な顔をしてくれる人は幸いです。

 

「今日その話を二度もききましたよ。」と

決して言わない人は幸いです。

 

楽しかった昔をとりもどす方法を

知っている人は幸いです。

 

私は愛されており

ひとりぼっちでないことを

教えてくれる人は幸いです。

 

私には十字架を担う力がないことを

わかってくれる人は幸いです。

 

愛情深く、人生の最後の旅路の日々を

なぐさめてくれる人は幸いです。


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<敬老の日の川柳>

 

 ①  オレオレに 亭主と知りつつ 電話切る

 ② タバコより 体に悪い 妻のグチ   

 ③  デジカメの エサはなんだと 孫に聞く

 

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 <笑い話を二つ>

 

① 老神父との問答

 ある信者が、老神父に尋ねた。

 「神父さま、神さまは本当にいるのでしょうか?」

 すると間髪入れずに「イエス」と答えた。

信者はさらに尋ねた。「ではお釈迦さまは?」

老神父は、すました顔で

「そのような、よその宗教のことは、ホットケ」と。



 ② ベビー用品を求めて

ある日、老人がデパートへ出かけた。

すると、一階の案内所で

一人の若い男がやって来て、忙しそうに案内嬢に尋ねた。

「あの・・・赤ちゃん売り場ってどこですか?」

大勢の客に対応していた案内嬢は、

「ハーイ七階にございまーす。」と機械的に答えていた。

すると近くにいた老人が笑いながら、

「最近のデパートは赤ちゃんまで売っているんだ。」とつぶやいた。

 


「教会だより」の巻頭言 8月号



夏の思い出

カトリック唐津教会 主任司祭 江夏國彦

 司祭になる前の段階、助祭の時、夏休みに、体験学習のためフィリピンへ派遣されたことがありました。40年以上前のことですが、私にとっては、思いもかけない初めての海外旅行でした。そのときの一つの忘れられない思い出があります。

 文化がちがうと食べるものもこんなにちがうのかと驚きました。向こうの人が、バルゥートというアヒルのゆで卵をおいしそうに食べているのをしばしば見かけました。フィリピンで働いている日本人の宣教修道女たちも普通に食べていました。私にも何度も勧められましたが食べられず、いつも断ってばかりいました。というのはこの卵は、授精して、もうすぐ雛になる寸前のものを茹でたものだったからです。フィリピンでは、お祝いの時などでよく出る料理なのです。

 ところが、マニラからレガスピという所にバスで旅行中、同乗者のあるフィリピン女性が、このバルゥートを差し出して、食べるようにしきりに勧めるのです。例によって断ろうとしたら、「私たちが好物としているこのバルゥートを食べないなら、あなたはフィリピン人を軽蔑したことになります。」と言われるやら、「あなたはそんなに臆病者ですか。」と言われる始末。そこまで言われたのでは断る訳にもいかず、弱音をはいては、日本男児の名がすたるというわけで、とにかくまず受け取りました。

 すると今度は食べ方を教えてくれました。躊躇していると、岩塩を少し振りかけて食べるのだと言って促され、私は意を決して、しゃにむに食べました。するとこの女性、「よく食べられましたね。感心しました。」と、にっこり笑ってほめてくれました。でも最後の言葉が気にくいません。「食べるとき、貴方は目をつむっていましたよ。」これには少々しゃくにさわりましたが、なんだかその時から急にフィリピン人に親しくなれたような気がしました。

 その後、司祭になってから、多くのフィリピン人と親しくなりました。特に群馬県で司牧に当たっていたときは、日本人と結婚したフィリピン人も多く、文化的な違い、国民性の違いのために問題を抱えている信徒が少なからずいました。彼らのためにフィリピンでの体験学習は、とても役立ちました。

 バルゥートのほろ苦い体験が、人々ともっと親しくなれたという喜びに変わったように、文化の違いを乗り越える体験は、人々との交わりと理解をより深める事を教えられました。

 滞日、あるいは在日外国人が多くなった日本の社会にあって、これからは、ますますお互いの違いを乗り越えてゆかなければなりません。そのために幾多の困難が待ち受けているでしょう。

 しかし、違う文化に育った者同士が、共に生きることは、お互いに学ぶことが多く、またより豊かな文化を築くことだと思います。一つになるとき、喜びも文化的豊かさもいただくのです。