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生まれ変わる日
カトリック唐津教会 主任司祭 江夏國彦
主の降誕、おめでとうございます。ルカ福音記者が記した聖書箇所(ルカ1:26-56)からマリアの心を推察しながら神さまのなさる業の神秘に分け入りたいと思います。
マリアの賛歌と言われるこの箇所は「私の魂は主をあがめ、私の霊は救い主である神を喜びたたえ、おどります」と詠っています。この神のお告げを受けたときのマリアの喜びはどれほど大きかったことか。マリアの神さまに対する思いの大きな変化があったからだと思います。
多くの人々は、神を忘れて自分の力で生きようとしたり、神以外の力に頼ろうとしたりします。ところがマリアは「この主のはしためである私にも目を留めてくださった」と詠っています。「はしため」とは女奴隷。マリアは、私は神の女奴隷ですと言っています。奴隷は主人に自分の全部を明け渡します。だからマリアは、「私は神さまのために自分を空っぽにしました。神のための土の器(Ⅱコリント4:7)です。この器を神さまのご用で満たしてください」という思いを述べているのです。これは、マリアの心に変化が生じた証拠です。
マリアは長い間、自分は神のみ前に至らぬもの、神の恵みから一番遠いと思っていました。しかし、神のみ使いの言葉を通して、神の恵みの大きさと自己の愚かさに気付かされたのです。自分は神に愛されたものであり、神から受けた使命があると考えました。そのときから、マリアは今までと違う価値観、生き方で、神に全てを委ねて生きる者となったのです。もはや今までのマリアとは違う人間に変えられたと言えます。
マリアにとって、主である神こそが全てであり、この方を全身全霊で愛し、仕えることこそ最も価値あることと悟ったのです。まさに、これはマリアが生まれ変わった時であり、それは聖霊のなす業です。
この生まれ変わりに関連することですが、福音書(ヨハネ3:4)に、ニコデモという人とイエスとの対話が書かれています。「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」と言われたニコデモは「もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか」という愚問をしています。「神の霊によって、上から新しく生まれ変わらなければ、神の国に入ることはできない」という意味です。
神の呼びかけに対して「おことばどおり、この身になりますように」とマリアが答えることによってマリアは、人間としての人性を保ちながら、神の霊によって新しく生まれ変わり、神の霊に生きる者となりました。一方、父なる神の独り子は、マリアの胎内で、神としての神性を保ちながら、体を持った真の人間として生まれました。ここに神の計らい、救いの業の神秘を抱かずにおれません。
幼子の誕生の日は、聖母マリアのように私たちも生まれ変わる日なのです。私たちが、幼子の霊を宿して生きるなら、真に福音的価値観に生きる者へと生まれ変わるでしょう。

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