神の富と知恵と知識のなんと深いことか
カトリック唐津教会 主任司祭 江夏國彦
現代社会のデジタル化の進歩は一段と加速しているように思われます。パソコンやスマホなど次々とデジタル製品が出てきています。更にコロナ禍を経験した世界は、デジタル化を一層加速させています。世界で起きているこの現象に遅れをとるまいと政府は「デジタル庁」を発足させ、デジタル変革へと日本社会も進んでいます。これは企業がビジネス環境を、デジタル技術を活用して、ビジネスモデルを変革、さらに組織、企業文化・風土まで変革し、豊かな社会にしようとすることです。この時代変化について行けない人、置き去りにされそうで不安になっている人は多いと思います。
先月、敬老の日がありましたが、お隣の幼稚園では、祖父母会という集いがあり、園児の祖父母たちに神さまの祝福を授けるために私は呼ばれました。デジタル音痴のお年寄りが孫に尋ねる面白い川柳があります。
「デジカメの エサはなんだと 孫に聞く」
20年くらい前までは、フィルムを入れて撮影するアナログ式のカメラが多かったのに、現在ではデジタルカメラに置き換わって、フィルムは使わなくなりました。
あらゆることをデジタル化することで、便利で、快適な生活になりますが、同時に、システムの不具合による大規模災害、デジタル機器を用いた犯罪、予想もしていなかった人の心を蝕む社会現象など起きる可能性を孕んでいるのです。
とはいえ、科学の進歩は生活を便利にしますし、だれも豊かで快適な生活の追求を止めることはできません。ますますデジタル化する現代社会を生きる私達は、本当に大切なものは何なのか、本当に幸せな生き方と人生とは何なのか、見極めることが必要です。目に見えるものは全て移ろいゆき、過ぎ去るのです。本当に大切なものは、目に見えないものです。どんなに科学が発達してデジタル化が進んでも、目に見えない真実のものを見失うことがあってはなりません。
「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。」(Rom11:33)
天文学が発達すればするほど、宇宙の広がりとその神秘が深まるように、科学が進歩すればするほど、創造主である神の知恵と偉大さを思わずにおれません。
山奥で暮らす、田中源蔵さんは、元気いっぱいのご隠居。デジタル化社会をものともせず、生きています。趣味は囲炉裏で焼き芋。
ある日、町内会の若者が健康を気遣い源蔵さんの家にやってきた。
「源蔵さん、お元気にしていらっしゃいますか。
スマホでも健康管理できますよ!」すると源蔵さんはせせら笑いして「ワシは毎朝、味噌汁の具で体調を占っとる。豆腐が沈んだら休養日じゃ。」
源蔵さんのようにデジタル化に惑わされずに生きる人は、神さまだけに頼る心がおのずと湧いてくるのかもしれません。
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