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キンシバイ(金糸梅) |
団塊の世代と言われる人々が、後期高齢者になっている日本は、一段と高齢化が進んでいます。自分の老いを前にして思うのですが、老いてこそ心得るべき事があるのではないでしょうか。
聖パウロはテサロニケの信徒に向けて「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです 」(Ⅰテサロニケ5:16-18)と言っています。この言葉から考えたのですが、自戒の念を込めて次の3つの心得は大事ではないかと思います。
心得1。がくれき:今日まで長生きできたことを感謝し、今まで受けた多くの恵みを忘れずにいることで自然と喜びが湧いてきます。楽しい思い出の歴史ですから漢字では学歴ではなく「樂歴」と覚えます。
心得2.きょうよう:外出がおっくうになりがちな高齢者は、なるだけ毎日、外出する計画を立てましょう。用がなく、人と交わらす、外の美しい自然も見ない日がないように心掛けましょう。漢字で教養ではなく「今日用」と書きます。
心得3.あいいく:誰かに会う計画を立て、出てゆき、会って交わりましょう。できなければ、電話でもメールでも交われます。これを漢字で愛育ではなく「会行」と記憶してください。
上記の聖パウロの言葉「いつも喜んでいなさい」は、私たちが神から受けた恵みは、どれほどのものであり、これから受ける事になっている恵みは、いかに偉大なものであるか考えたら喜ばずにおれないという意味でしょう。だから本来、キリスト者はいつも喜びで満たされているはずです。他人から「どうしてあなたは、いつもそんなに嬉しそうにしているのですか。」と言われるぐらいになりたいものです。それは、心得1「がくれき」の真髄かもしれません。
そして「絶えず祈りなさい。」と言っています。祈りは、主イエス・キリストとの対話です。祈れば、主は何をなすべきか教えてくださるでしょう。その日の用事は祈りから生まれます。何もする用がないなら、祈りが足りないのかもしれません。「きょうよう」がない?
さらに、聖パウロは言います。「どんなことにも感謝しなさい」と。何故なら、どんなことも全知全能の神のみ旨の中で起きるのですから。全ての出来事には意味があるのです。後になって恵みであったと思える時が来るに違いありません。主は、人々との交わりを通して、私たちを愛し、育てておられます。だから、心得3「あいいく」は大切です。すなわち、何時でも、どこでも、事あるごとに、人に会いに行き、交われば、更に豊かな恵みを受けて、どんなことにも感謝することができるでしょう。
高齢者は社会との交わりの広さは限られ、小さくなるでしょうが、しかし人生経験者として、信仰者として、交わりの質を高める事ができるのです。神の愛を伝える交わりの共同体へと成長できますように。
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