鏡山展望台から望む唐津湾 |
カトリック唐津教会 主任司祭 江夏國彦
11月は死者の月です。過去の懐かしい方々を偲び、秋の夜長に物思いにふけることが多いものです。故人を通して受けた多くの恵みを神に感謝し、信仰の道を見つめ直すのです。
わたしは、大学時代に出会ったイエズス会士、ヘルマン・ホイヴェルス神父のことが懐かしく思い出されます。ドイツから宣教師として日本に来られた師は、カトリックの司祭としてだけでなく、上智大学の大学教授・学長として、劇作家として53年間、日本人と日本文化を愛して生涯を全うされた人です。
晩年のホイヴェルス神父にドイツの友人が贈ったものと言われている詩があります。
< 最上のわざ >
この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に・平静に・己の十字架をになう!
若者が元気いっぱいで
神の道をあゆむのを見てもねたまず、
人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも
親切で柔和であること!
老いの重荷は神の賜物・古びた心に
これで最後のみがきをかける。
まことの故郷へ行くために!
己を此の世につなぐくさりを
少しずつはがして行くのは真にえらい仕事。
こうして何も出来なくなれば、
それを謙遜に承諾するのだ。
神は最後に一番よい仕事を残してくださる。
それは祈りだ! 手は何も出来ない。
けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために!
すべてをなし終えたら、
臨終の床に神の声をきくだろう!
「来よ、わが友よ、われ汝を見捨てじ」と!
老司祭、ホイヴェルス神父は、いつも物静かで、柔和で、祈りの人でした。眼は遠くを見つめているような眼差しで、慈愛に満ちていました。師の話す日本語は美しく、味わい深いものでした。そばに居るだけで何となく平和な気持ちにさせてくれる聖なる人でした。
私たちが出会いを通して自分の人生に深い影響を与えてくれた故人たちを偲び、弔うことは、天国での再会を希望させ、故人への感謝と相まって、この世での命を精一杯いきるように促されます。
聖パウロは自分の晩年の心境を次のように述べています。「わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。」(Ⅱテモテ4:6-8)
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