あなたは神のことを思わず、
人間のことを思っている(マルコ8:33)
カトリック唐津教会 主任司祭 江夏國彦
地球温暖化の影響で、猛暑と豪雨による災害が度々起きています。自然災害による苦しみだけではありません。これほど科学文明が発達し、物質的に豊かな社会になっても人間の苦しみは何時の時代もなくなることはないでしょう。苦しみは、人生にいつもつきまとう問題です。それをどう受け止め、どのように乗り越えるのか、その人の生き方 にかかっています。
イエス・キリストが、多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められたとき、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めたのです。その時イエスがペトロに言われた言葉が今月の巻頭言のタイトル「あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」です。(マルコ8:33)
キリストの招きに答えて、弟子となり、寝起きをともにしていたペトロでしたが、この頃のペトロはまだ、キリストをよく理解できていませんでした。キリストは救い主と信じていましたが、この世の政治的な偉大な指導者としてのメシア(救い主)理解でした。だから主が、苦難を乗り越えた後の喜びに入られることも、十字架を通して復活されることも知る由もなかったのです。
しかし、ずっと後、復活されたキリストに出会って、初めてメシア理解、キリスト理解ができました。その時の喜びと驚きと感動は、その後のペトロの人生を根本的に変えてしまったのです。
生き方も価値観も、そしてこの世での苦しみについての考え方も新しくされ、その視点からキリストを思う時、深い感謝と主の愛に応えたい思いは、殉教も厭わないほどに愛の炎がペトロの心に燃え盛ったのでしょう。
主がそうであったように、信仰者にとっても苦しみを乗り越えた後に約束された栄光があるということは変わらないのです。主は、十字架上の死から復活へと通じる道を開いてくださったのです。
苦しみと喜びは大海で繰り返される波のように考えているのではありません。また、偶然苦しみが喜びに変わったり、喜びが苦しみ変わったりする出来事として考えているのでもありません。苦しみを復活と関連付けて意味があるものと考えているのです。
キリストの示された道は、苦しみ無しにあり得ない喜びへの道であり、自分に死ぬことなしに、新しい命へ至ることはできない道なのです。
聖アウグスティヌスは、次のように言いました。「愛は、最も困難なこと、最も苦しいことを、全く負いやすく、その重荷を無にします。」
だから、たとえ苦悩の淵にあっても、苦しみから抜け出せないかのように思われても、すでに永遠の命と喜びを得たかのように生きることができるのです。