「教会だより」の巻頭言 6月号

オウゴンマサキ(黄金柾)

クマさんの食前の祈り

カトリック唐津教会 主任司祭 江夏國彦

雨季も終わりが近づき、新緑の輝きが益々増してきました。里山を散策したり、山菜採りに行ったりする機会があるかもしれません。自然の中には、いろいろな動物も暮らしています。突然、日頃見かけない動物に出くわすかもしれません。

「クマさんの食前の祈り」という笑い話があります。ある人が森でクマとバッタリ出会ってしまいました。こんな場合すぐ逃げないで、クマから目を離なさないほうが良いと聞いていたので、その人はクマの目をじっとにらみつけていました。すると、クマはうつむいて、目をつむってしまいました。その人は安心して見ていると、しばらくしてからクマが再び頭を上げて言いました。「最期の祈りは済んだかい?こっちは食前の祈りが終わったぞ。」

 

この世の中は何が起こるかわからない危険に満ちた世界、変化が早くて錯覚に陥りやすい世界、将来の見通しが立たない世界。私たちは今、そういう世界に生きています。動揺したり、不安を感じたりすることがあるでしょう。しかし、毎日のように報道されるウクライナ情勢とガザ地区の惨状に、私たちの感覚は麻痺してしまいそうです。世界情勢がいかに危険に満ちた状況であるかを感じなくなっているのではないでしょうか。

 

トランプ大統領の依頼もあり、レオ14世教皇は、ヴァチカンがウクライナ紛争の和平交渉の仲介役をする用意があると表明されたが、ロシアが反対していてヴァチカンでの協議は実現しそうにもありません。しかし、最近のヴァチカンは人道的な取り組みとして、捕虜交換の仲介役を果たしました。和平交渉を通じてウクライナとロシアが約800人の捕虜を交換しました。

一方、紛争は今も続いており、毎日多くの犠牲者が出ている現実を思うと、心が痛みます。もしこの様な紛争が世界の各地で続けば、最悪の場合は、どこかの地で核戦争になり、想像できないほどの悲惨な世界になるでしょう。戦争は、人間の仕業です。人間に責任があり、人間はその結果を身に受けるのです。責任が私たち一人一人にかかっているのです。

 

「神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。」(Ⅱコリント110

きのうも今日も、そしてこれからも変わらない永遠の愛と命をもっておられる神に希望をかけて生きる人は幸いです。

 しかし、もしかしたら私たちが、のんきに口先だけで平和を願う祈りをしていると、笑い話のあのクマさんが、近くで食前の祈りをしているかもしれません。

 

 軍事力でも外交力でも経済的圧力をかけても、うまくゆかない情勢の中で、各国の首脳の中に、少しでも宗教的な力に期待してみようとする動きがあることは良いことです。

 私たちも人間の知恵と力を超えた、神の力が私たちの想像を超えた方法で働き、平和へ向かうように、教皇と共に心を込めて祈りましょう。