「教会だより」の巻頭言 5月号

 
聖マリア像の前のクリーピングタイムの花

聖母月に聖ヨゼフを思う

カトリック唐津教会 主任司祭 江夏國彦

今年もまた、聖母月が巡って来ました。毎年この月になるとカトリック教会は聖母マリアについて話され、また褒め称え、祈りを捧げます。

中世のある詩人は「聖母は耳によって、そして心によって、次に肉体によって神の言葉を受けた。」と言いました。乙女マリアは、天使のお告げを耳で聞いて、驚き、畏れました。しかし、彼女の信仰が彼女の心にその言葉を受け入れる力と勇気を与えてくれたのです。そしてお告げの御言葉は彼女の胎内で実現しました。このように、耳で、心で、体で、「お言葉通りになりますように」と受け入れたのです。

ところで、神さまの計画は乙女マリアの協力だけでは全うされないものでした。義人ヨゼフの協力も必要でした。義人ヨゼフも乙女マリアと同様にお告げを受けた時の彼の驚きと畏れ、そして乙女マリアのことを心配したことを聖ルカ福音記者は書き留めています。

 神と乙女マリア、神と義人ヨゼフ、この二人の神さまとの「人類の救いに関する最初の対話」は、いとも清らかで、美しく、神秘的な出来事であったと想像します。昔からこの場面は絵になり、詩になり、音楽になり、様々な形で多くの人々が想像し、思い巡らして芸術作品が生まれました。

ところで、乙女マリアと義人ヨゼフが、この「人類の救いに関する最初の対話」はどうだったのでしょうか。人間同士の最初の対話は、どのように進められたのか想像するのは興味深いことです。

イエズス会士であったヘルマン・ホイヴェルス神父は次のような言葉を残しています。「聖ヨセフと聖マリアは苦しみによって却って強い絆で結ばれた。その事によって一生涯、花婿と花嫁の愛を持ち続けた。聖ヨセフが天使のお告げを聞いて聖マリアを引き取った時の会話を聞いてみたいものです。」  確かに、私たちはヨゼフの立場になって思い巡らす時、様々な思いがよぎります。人類の救い主の母となる方であること、聖霊によって神の子を身籠ることの神秘さ、自分もマリアと共に神の救いの業に協力させて頂く誉れと喜び、救い主の守護者となることへの責任の重さからくる不安、これから後に待ち受けている苦労と困難が予想されること、様々なことをヨゼフは心に抱きながら、乙女マリアと交わした会話。ヨゼフはきっとマリアしかできない役割について考え、それに協力すること、そして自分にしかできない役割は何なのか、何よりも神の御旨に叶うように一致協力することを願う心でマリアを引き受ける旨を告げたのでしょう。

それは何時、どこで、実際どんなことを話したのでしょうか。この「大いなる最初の対話」の内容は誰も知る由もありません。人類史上最も神聖で崇高な対話であっただろうと思われます。義人ヨゼフの立場から思いを巡らすことによって、神に選ばれた乙女マリアへの畏敬の念がますます深まると同時に、神の業の不思議さ、神の慈しみと、弱い人間への理解を思わずにおれません。神の救いが、信じる全ての人の上に実現しますように。