「教会だより」の巻頭言 1月号

 

有田の大イチョウ(大公孫樹)2024.12.08

この世の旅人、巡礼者

カトリック唐津教会 主任司祭  江夏國彦

新年あけましておめでとうございます。今年は、25年に一度巡ってくる聖年に当たっています。教皇様は、1224日、降誕夜半ミサの時、聖ペトロ大聖堂の聖なる扉を開いて聖年の始まりを告げました。聖年のテーマは「希望の巡礼者」とし、大勅書「希望は欺かない」を発布されました。主の再臨を待ち望み、その良き準備をする者にとって、新年は多くの恵みがもたらされる年となるでしょう。 

世界で起きている二つの戦争だけでなく、国内でも悲しい事件が毎日のように起きています。近年いじめを苦にした子供の自殺が多いのを嘆きながら、希望を失った子供たちは人生をリセットするような感覚で自分の命を絶ってしまうと評する人がいます。パソコンをリセットするかのごとく、簡単に人生のやり直しができるとでも思っているのでしょうか。

しかし大人も、日本の平均寿命が延びた時代とあって「PPK」で死にたいと願う人が増えているとのこと。PPKの意味は、英語の頭文字かと思いきや、「ピンピンコロリ」の頭文字だとか。その気持ちを詠んだ川柳「散るなんて知らぬが仏花盛り」は今日の世相を表しています。

このような思いの背景には、苦しみたくない、人に迷惑をかけたくないという思いがあるからでしょう。もし真剣にそのように思うようになったのなら、命に向き合う姿勢が問われていると思います。現実は、病に倒れた後、長い間、周りの人に介護されながら生きなければならないこともあります。健康な者が健康でない者を介護するといっても、それは多くの場合、肉体的に、より健康な者がそうでない者の面倒を見ることを意味しています。ところが肉体的に健康といっても果たして心も魂も含めた人間全体として健康な人がいるでしょうか。体がどんなに健康といっても、原罪に傷ついている私たちは自己中心的な生き方に傾きます。そのことの故に人間関係を傷つけ、あるいは傷つけられます。そして、お互いに苦します。

神さまの立場で考えると看病するといっても、不健康な者が不健康な者を看病しているにすぎないのです。この関わりを通して、どんな人も本当に健康になるために癒しが必要です。お互いに関わりを深めることで、思いやりの心や、命の尊さを学ばせていただくのだろうと思います。子供も大人もこの関わりを忌み嫌ったり、避けたりしないで、与えられたものとして受け、お互いに神に癒されるプロセスにさせていただき、人間として成長したいものです。神さまが与えてくださったもので、意味のないものは何一つないのですから。 

イエスは言われました。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マコ 2:17

教皇さまの言葉にも「真の愛は、愛すると同時に愛されることです。愛を受け取ることは、愛を与えることよりも難しいものです。」とあります。

キリスト者は絶えず希望を持ち続け、神に育てられながらこの世を生きる旅人であり、巡礼者なのです。