「教会だより」の巻頭言 12月号

北山ダム 2024.11

ちょうの御よそおい

カトリック唐津教会 主任司祭  江夏國彦

 天使はマリアに言った。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」ルカ1:35

 クリスマスおめでとうございます。仏教に比べれば、日本でのキリスト教の歴史は短いですが、今ではクリスマスは日本の社会にすっかり溶け込んでいます。多くの家庭でクリスマスケーキやプレゼントを交換します。そして喜びの雰囲気に包まれます。

  1614年に徳川家康が禁教令を発布して以来、250年以上にわたって長崎県松浦郡の生月、外海、五島などでキリスト者たちは隠れキリシタンとして潜伏していました。迫害によって多くの殉教者も出しました。聖書さえ持つことが許されなかった彼らは、手作りの聖書「天地始之事」を著し、信仰の支えとしました。マリアが身ごもった事、そして男の子を出産した次第が書かれています。その中で、おとめ=びるしん、聖=さんた、マリア=丸屋、聖霊=ちょうの御よそおい、と言い表しています。

 ところでアサギマダラという「渡り蝶」は、春になると北上して函館まで、秋になると南下して喜界島まで飛んでゆくことが知られています。この蝶の観察や調査研究が盛んに行われています。インターネットが発達した時代とあって、学者や専門家ばかりでなく素人や子供たちまでが参加して、今や調査のために日本全国にネットワークが出来上がっているそうです。偏西風に乗って移動するのだろうと考えられていますが、小さい蝶が、どうして2千キロメートル以上も移動することが可能なのかまだよく解っていないのです。 

 アサギマダラの蝶のように神の霊である聖霊は風に乗ってやってきて処女マリアの胎内に宿ったと記しています。隠れキリシタンが書き残した聖書、「天地始之事」ではクリスマスのことを「御身のなたる」といいました。その箇所も想像たくましく描かれています。

 馬屋でお生まれになったその日は大雪の降る寒い夜であったので、馬と牛が幼子の両側から息を「ハー、ハー」と吹きかけて暖めてくれたそうです。馬小屋を清め、赤飯を炊いて、生活のために大事な機織の道具まで薪として燃やし、産湯を沸かしたとあります。

 聖書の中では、聖霊は風や鳩の形にたとえられていますが、隠れキリシタンは蝶にたとえたのです。神の救いの御計画の神秘をこのようにイメージした隠れキリシタンたちの信仰は、正統信仰からすれば、逸脱した記事であっても、当時の迫害によって聖書を持つことが許されなかった中で、風土と生活様式に根ざした記事となりました。素朴で純粋に信仰に生きてきた彼らの信仰の逞しさを感じさせられます。

 処女マリアからお生まれになった幼子の「微笑み」が荒れすさんだ人々の心を和らげ、真の正義と平和、そして喜びがこの地上にもたらされますように。